〜本有引力〜

本と本がつながりますように

私の「ぼうけん図書館」

前回は、現在、立川のPLAY!MUSEUMで開催されている「エルマーのぼうけん」展(〜10/1)の展覧会レビューをお届けしました。その展示の最後には、「冒険家、写真家、学者、スポーツ選手、 絵本作家や文学者ら、挑戦する」さまざまな人たちがおすすめするもの、そしてそれ以外にもたくさんの“ぼうけんの本”が並べられた「ぼうけん図書館」がありました。

さまざまな冒険家たちの歩みを描いたノンフィクション、エルマーと同じように勇気と知恵でさまざまな困難を乗り越える物語、そして意味を広く捉えて、この世界のあちらこちらに潜む多様な「冒険」をとらえた本……読み物からエッセイ、絵本、漫画、図鑑、実用書まで、多彩な冒険の本が用意されていました。

(個人的な苦言となりますが、各界の方々による選書以外の本が、本どうしがぐちゃっと積み重なるかたちで置かれていたのはあまり心地よく感じられませんでした。販売している本ではないとはいえ、多くの人が手にとる本が、歪んだりしたまま置かれているのは、ちょっと心が痛みます……)

さまざまな選者の方のコメントと本を見ていると、「冒険」という言葉が呼び起こすなにかワクワクする気持ちと、そして「冒険」という同じ言葉から広がる多彩な世界に目を開かされる感覚がむくむく湧いてきて、とにかくふむふむうなずきながらぐるぐる見て回りました。

そして、やはり「自分が選ぶならば、どの本だろう……?」という考えが頭をもたげてきたのです(本のこととなると、つい自分に置き換えて考えてしまいます)。

ということで、今回は私的・ぼうけん図書館を考えてみたいと思います。

自分にとって「冒険家」といって思い浮かぶのは、やはり石川直樹さんです。編集の仕事を始めてから写真に興味を持ち、そして写真ともともと好きだった旅が交差すると、自然と石川直樹さんの写真と文章に行き当たりました。

今回の「ぼうけん図書館」での各界の方による選書でも、石川直樹さんの本を選んでいる人が多かったように思います(たぶん、同じ著者の本としてはいちばん多かったはず)。

北極から南極へ人力で移動する「POLE TO POLE」プロジェクト(2000)からもう20年以上。旅、冒険、未踏の地に臨むことについてたくさんの文章を残してきていて、たくさんの経験と思索を重ねたのちの近年の著作にはますます深さが感じられますが、「冒険とはなにか」という問いに対して選ぶときに、初期のこのエッセイ2点は欠かせない、そしていつまでも色褪せないものだと思います。

『全ての装備を知恵に置き換えること』(晶文社、2005 → 集英社文庫、2009)

www.shueisha.co.jp

『いま生きているという冒険』(理論社、2006 → イースト・プレス、2011 → 増補新版・新曜社、2019)

どの本の記述だったか定かではないのですが、本当に多様な極地を経験してきている石川さんが、冒険とは決して極地だけにあるものではなく、日常のなかにたくさんの冒険が潜んでいる、ということを述べていたと思います。

その意味で、石川さんがコロナ禍の2020年に、自身のルーツである東京を歩き、撮り、考えた『東京、ぼくの生まれた街』(エランド・プレス)は、まさに冒険のエッセンスだと言えるのではないでしょうか。

errandpress.com

PLAY!MUSEUMの「ぼうけん図書館」に数え切れないほどの本が集められていたように、“ぼうけんの本”と言える本は本当に限りがないと思います。蔵書量もジャンルの幅もごくごく限られている自分の本棚にある本だけでも、多様な意味で「冒険」を捉えたら、あれここれも列挙できてしまいそうです。

それではただ散漫なだけになってしまうので、何か少しでも話の流れをつくれそうなタイトルを挙げることにしたいと思います(自分では泣く泣く絞り込んだつもりでも、まだまだ散漫に感じられてしまうかと思いますが)。

私にとって「これぞ冒険物語」という王道的な本を選ぶなら……

ミヒャエル・エンデはてしない物語』(岩波書店

www.iwanami.co.jp

J・R・R・トールキン指輪物語』(三部作、評論社)

www.hyoronsha.co.jp

アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記』(当初は三部作、その後続刊三作、岩波書店

www.iwanami.co.jp

『果てしない物語』は、読みながら主人公バスチアンとともに、本とは出会うごとに様相を変える「冒険」であるということを知った一冊。

そのほかにも多くのファンタジー作品に触れていくなかで、最も骨太で、重厚な世界観をもった作品が『指輪物語』でした。中学生の頃に読んでからもう30年近く。映画と前日譚『ホビットの冒険』から入った子に、この作品のバトンを渡したいと考えている今日この頃です。

そして、こうしたファンタジー作品のなかでも最も哲学的な影響を受けた(受け続けている)のが『ゲド戦記』(初期三部作、特に第1作の影との戦い)です。この物語世界の魔法の核にあるのは「まことの名」というものですが、それを追い求める冒険は、ある意味で己の内面への探求と言えるのではないかと思います。そんな哲学的な探求を魔法世界の物語というかたちで描き出した、途轍もなく深い作品で、歳を重ねて何度読み直しても、学ぶことの多い本です。

同じル=グウィンの作品で、もっと軽く心地よく読めるけれど、冒険に満ちた素敵な物語が『空飛び猫』シリーズ(講談社文庫)。羽の生えた猫たちの冒険を、あたたかく見守ってください。

bookclub.kodansha.co.jp

続いて、タイトルに「冒険」という語を冠する本を探してみたところ、次のようなものがありました。

斎藤惇夫冒険者たち』(岩波書店

www.iwanami.co.jp

小学生の頃の自分の愛読書。イカサマが好きで、よくサイコロを持ち歩いていました。イタチのノロイのカリスマ、おそろしさは、読んでいて本当にゾクゾクするものでしたね。

さとうち藍(文)、松岡達英(絵)『冒険図鑑』(福音館書店

www.fukuinkan.co.jp

この本は、(「◯◯図鑑」のシリーズ含めて)その存在は知りつつ自分でも触れてこなかったものを、数年前、子への誕生日の贈り物にしました。でも、年経るごとにアウトドア的な活動から遠ざかる現代っ子、ほとんど読んでいないようです……ただ、こういう本は決して古びないので、いつでも手の届くところにあることが重要かな、と思います。

森まゆみ『「青鞜」の冒険ーー女が集まって雑誌をつくるということ』(平凡社、2013 → 集英社文庫、2017)

www.heibonsha.co.jp

タイトルにもある雑誌「青鞜」をめぐる女性たちの物語。当時、女性が自分たちのための雑誌をつくるということが、いかに過酷な冒険だったか。本を編むということの重みを実感します。単行本版の装丁が本当に美しく、ぜひ手にとって見ていただきたい本です。

広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険』(岩波科学ライブラリー)

www.iwanami.co.jp

「これ食べたら死む?」のような、大人には足を踏み入れることの難しい、興味深い言語の世界を冒険している子どもたちから学びを得る本。自分の子が幼かった頃のことを思い出しながら、噛みしめるように味わえる一冊です。

最後に挙げた2冊は、「冒険」を文字通りの意味から拡張したものだと思いますが、改めて「冒険」とは何なのでしょう。狭い意味では、人跡未踏の極地を行くようなものがイメージされるかもしれませんが、石川直樹さんの言葉や、上に挙げたような多様な「ぼうけんの本」から考えてみると……物理的な土地という意味に留まらず、それが具体的なものであれ比喩的なことであれ、新しい世界に臨むことはすべて、「冒険」と言えるのかもしれません。

そんなことを考えながら、私の蔵書からそれに当てはまるもので、ぜひご紹介したい本を徒然に挙げたいと思います。

ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫訳、ちくま学芸文庫

www.chikumashobo.co.jp


『ギルガメシュ王の物語』(画・司修、訳・月本昭男、ぷねうま舎)

世界最古の物語とも言われる、古代メソポタミアの物語。永遠の命を求めて旅をする、というのは人間の根源的な業なのかもしれません。

イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫

www.heibonsha.co.jp

明治時代の日本各地を西洋の女性が旅する、そこには幾重もの冒険的要素があったのだと思います。大学院時代の恩師(に後になる先生)の授業を通じて手にとった本。『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)などとも併せて。

前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書

www.kobunsha.com

学術的に非常に意義ある営みを、こんなに抱腹絶倒な本として読めるとは。極地的な意味でも、また新たな分野を切り開くという意味でも、素晴らしい冒険の書

前田亜紀カレーライスを一から作る』(ポプラ社

www.poplar.co.jp

探検家・関野吉晴さんが武蔵野美術大学で行った、まさにタイトルどおり「カレーライスを一から作る」ゼミの記録。米も、ルーの野菜も肉もスパイスも、そして食器までも、本当にすべてを一から作ることに挑みます。冒険の第一人者と一緒に追い求める、足元にある冒険。未見ですが、映画版もぜひ観てみたいものです。

バッジュ・シャーム『ロンドン・ジャングルブック』(タラブックス/三輪舎)

インド最大の少数民族「ゴンド族」の画家が、ロンドンのインド料理店の壁画を描く仕事の依頼を受け、故郷を離れてロンドンへ。初めて触れる大都会、ゴンド・アートの画家の目にはどう映ったのか。「冒険」の本質的な部分を表している本だと思います。

安達茉莉子『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)

住まう空間、食べるもの、装うもの、そして移動手段。何気ない日常のなかにも、「冒険」は確かに存在する。雄々しいことが冒険なのではない、誰もが冒険の主役なのだ、と感じられる本です。

大童澄瞳『映像研には手を出すな』(小学館

www.shogakukan.co.jp

最後に取り上げるのは、学校の映像研究会に所属する3人の高校生が挑む、アニメづくりという「冒険」の物語。これぞ日常にある血湧き肉躍る冒険と言えるでしょう。苦いことも酸っぱいことも含めて、若さが持つ可能性をいっぱいに感じる作品です。私はふだん、歳と経験を重ねることを比較的肯定的に捉えていて、過去に戻りたいと感じることはあまりないのですが、この作品を読んで&観て(アニメ作品)、「若いって素晴らしい! 高校生に戻ってこんな冒険したい!」と感じさせられました。

 

……だいぶんとりとめのない感じになってしまいましたが、これにていったん、私の「ぼうけん図書館」を閉じたいと思います。

皆さんの「ぼうけん図書館」も、ぜひ教えてください。