先駆者としての本(本に生えた草の葉から01)
私の読む本にはよく草が生えます。
(いえいえ、「www」ということではありませんwww)
書き込みをするのが苦手な私は、その代わりに気になったところにペタリペタリと付箋をはります(本の長期的な保存の観点からは、あまりよくない方法だということはわかっているのですが……)
ポストイットの「フィルム 透明見出し」をもう何年にもわたって愛用しています。スリムで、ケースから取り出しやすく(この仕組みはすばらしい)、根本が透明なために文字などを邪魔しない。本当に使い勝手のよいものです。
ノンフィクションなどの本では、それこそ草が生えるように付箋が繁茂することが多いのですが、物語の流れを楽しむ小説の場合、ほとんど、あるいはまったく付箋が生えないこともあります。
ちょうど読み終えたばかりの本では、たった一本だけ付箋が生えていました。改めて読んでみても、とても素敵な箇所だったので、今日はその部分をご紹介します(読み終えた本の付箋箇所を振り返ってみる、というのはなんだかおもしろいものが出てきそうなので、思いつきですが、継続するように敢えて番号を振ってみます)
……どこかで見たことがある人たちの写真の話から始まり、最近の流行作家のヤングアダルト小説の話にまで及んだ。Aはこういう小説について聞いたことはあっても読んだことがなかった。そこでMは、叱られるのを覚悟のうえで流行小説を持っていったのだが、先生は思いがけないことに面白い講釈をしてくれた。それを聴いてMが理解したのは、流行作家というのは月から降ってくるものではなく先駆者がいるということーーMは先駆者のことなど夢にも思いつかなかったーー、そもそもどんな本も何かしらそれまでに書かれたものや言われたものを踏まえているということもわかった。……
(※人物名はアルファベットに置き換えて伏せております)
詩をはじめとする文学にまったく触れたことのなかった若者と、詩人の言葉をずっと追い続けてきた老いた学者が、ふとした偶然で出会ってはじまった、ささやかな文学講義。
たまたま別の本を読んでいて、「何をもって本は『本』と認められるのか」「人は本のどのような点に価値や意義を見出すのか」などということを考えていて、本と本とのあいだの関わりというようなことを思い描いていたところでした。
そんなときに出合ったこの一節は、本というものの在り方について、深い示唆に富む指摘ではないかと思います。
さて、この文章はどの本からの引用なのか、わかりますでしょうか?
ご興味のある方は、ぜひこの本を読んでみてください。
(一冊全体もすばらしい作品でした)