〜本有引力〜

本と本がつながりますように

ボンクラ(盆暮ら)日記 2022

お盆だけじゃないけれど、お盆あたりの暮らし。ボンクラ(盆暮ら)日記。

8月11日(木・祝)

前夜寝る頃になって急遽思い立ち、朝慌ただしく家を出て軽井沢へ。それぞれの休日パターンが異なるから、日帰りであっても家族一緒に出掛けられる日は貴重な時間。

改めて選ぶ余裕もなく、もともと入っていたまま持ってきた本は呉明益『雨の島』。最初の一篇のなかに、もしかして『複眼人』のなかに出てきた人かしら?と思わせる人物が登場して、なんだか嬉しい気持ちになる。

ちょうどその前に読み終えたのが温又柔さんの『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』で、なんだか台湾の本が気になるこの頃。刊行当初から気になりながらようやく読んだこの本。本当にごめんなさい、購入時に手に取るまでは「ルーローファン」と読んでいました。

以前作ってみた魯肉飯、奥さんと自分は美味しく食べたけれども、子には八角の風味が「台湾っぽい味で、あんまり好きじゃない」と言っていたことを思い出して、ちょっと胸がギュッとなる。李媽媽的魯肉飯に込められたさまざまな思いに、(そして茂吉さんの優しさに)胸がいっぱいに。

軽井沢に到着。無計画で訪れたので、友人のすすめで長野と群馬の県境にある見晴台へ。汗をかきかき登っていき、県境をまたいで写真を撮るなどしてひとしきり楽しんだところで、木陰に誰かの胸像があることに気づく。なんと、詩聖タゴールだ。

タゴール。アジアで最初にノーベル賞を受賞した詩人、という定型文としてはその名を知っていたけれど、具体的な生き様もどんな言葉を紡いだのかもまったく知らなかった。

そんな自分がタゴールの存在にぐっと近づくきっかけとなったのが、2020年に公開された佐々木美佳監督の映画『タゴール・ソングス』。100年後に自分の詩を読む人に向けて書かれた詩など、印象的な詩と言葉に出合ったのはもちろん、その詩と歌がベンガルの人びとにとって尊くかついつもそばにある存在であることを知り、人が生きるうえで、詩や言葉、表現することの持つかけがえのなさについて、まとまらないことをあれこれと考えた。

その映画と合わせ鏡のような、かわいらしく美しい本が、この春に刊行された。映画と同じ『タゴール・ソングス』。大事に、ゆっくり、繰り返し開きたい一冊。

映画にも出てくるように、タゴールは軽井沢を訪れ、若き女学生たちに向けて、詩について話をしたのだった。偶然訪れた場所での思わぬ出会いは、さらに広がる。ちょうど、インド系の若い旅行者たちがやはりこの場所にやってきていた。思い切って話しかけてみるとやはりインドからで、タゴールについて聞いてみると、「もちろん、私たちはタゴールの詩を知っているわ」との答え(”Of course”の響きの強さが印象的)。タゴールがつないでくれた縁に感謝。

 

8月12日(金)

湿気が強く重たい風に吹く一日。仕事はいちおうオフにして、家事や買い物を主にこなす。あまり進みがよくなくてやや気持ちがふさぐのは、天候のせいだろうか。

夜は映画『攻殻機動隊』を子と一緒に観る。アニメもSFも好きだし、『アキラ』は楽しみ、また『マトリックス』シリーズが好きだからうまく入れるかな、と思ったけれど、『攻殻機動隊』は自分が記憶していた以上にちょっと難しかった(抽象的だった)かもしれない。アクションシーンは秀逸だけれど決して多いわけではなく、香港の町のようなビジュアルの美しさに惹かれるのもどちらかというと大人の感性なのかもしれない。何より、語られる内容のなかにこそ本作のいちばんの魅力があるのだろう。出会いのタイミング、ちょっと勇み足だったかな。

バルス祭りに乗るために、途中から見た『天空の城 ラピュタ』のほうが、シンプルに楽しめるからいまはこちらのほうがいいのかもしれない。

8月13日(土)

台風予報があったから、早めに食料を買い込んで午後から籠城。夕方から、子はエンデの『はてしない物語』をこの度初めて、自分はエドワード・ケアリー『堆塵館』をシリーズ通して読もうと思い立ち、そろってちょっと厚めの本を開く。陰鬱な天候のなか読むには、どちらも好適な選択ではないか。……ただ、しばらくすると、子のほうから穏やかな息。本を傍らにおいたまま、気持ちよさそうに眠っていた。まぁ、おかげでこちらも静かに集中できるし、こういう休日もたまにはいいもの。

そして、木曜日に放送された「本とこラジオ」を聴きながら夕食の準備。人類学と統合失調症、世のスタンダードとしての現実世界と一人ひとりの人間にとっての現実世界、という認識の話。前夜に見た『攻殻機動隊』のテーマともリンクしていて非常に興味深いものだった。

メインの話題では(石井美保『遠い声をさがして』 これ、絶対に読みたい)、いまはもういない人についてきちんと言葉にすることの持つ意味、死者との対話、死者について語ることの持つ役割などについて考える。人はなにゆえ死者を弔うのか、死にまつわるさまざまな営みや文化が受け継がれてきたことの奥深さを思う。

今日は、お盆の入りだ。

8月14日(日)

気づけばもう8月も真ん中、意外と動ける日も少ないので、チェックしていた「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」へ。お盆にも入ったこともあり、なんともタイムリーだ。

作品原画をたくさん見られたこと、またそこに込められた水木さんの子供のような純粋な気持ちに触れられたのは大変よかった。子のほうは、ユニークなキャラクターを見るのを楽しんでいるのかなと思ったら、(もちろんそれもありつつ)その背景部分の描写の細密さに感嘆していたのが意外であり興味深く。確かに相当にリアルな描き込みで、妖怪部分とある意味タッチが異なり、これが水木しげるの妖怪がの特徴の一つでもある。背景描写の分析をしてみるのもおもしろそう(既になされているか)。

原点としての『のんのんばあとオレ』を購入。1990年刊、ちくま文庫が500円台というところに驚き時代を感じる。

せっかくなのでミッドタウンにも足を延ばして、フジフイルムスクエアへ。『植田正治 ベス単写真帖 白い風』がものすごくよかった。展示写真ももちろん素晴らしかったのだけど、傍らにあった写真集では出版物としての印刷のためにさらに質感が変わり、まるで絵画のような、絶妙な味わいだった。

写真集は1981年刊。調べてみると、Amazonでは30,000円超の値段がついている!!

8月15日(月)

まだお盆は明けていないけれど、平日は容赦なくやってくる。待っていたゲラが戻ってきたので、謹んで今日は一日、仕事に集中する。

終戦(敗戦)の日であり、母方の祖父の誕生日でもあり。戦争のことを思い、死者との対話について思いを馳せたい日で、アントニオ・タブッキの『レクイエム』『イザベルに』などを読みたい気分。けれどもそんな余裕もなく、一日が暮れてしまった。

この機会に、と思って貸したスケラッコさんの『盆の国』を、子はあっさりすぐに読んでしまっていた。明日は送り火ということに思い至り、黒板画のネタはこの本にしようと決める。せっかくなので、もう夜も遅いけれど、今日この日のうちに読んで、なにごともなく明日の朝を迎えられることを祈ろう。


8月16日(火)

無事、8月16日はやってきた。当たり前のことなんだけれど、『盆の国』を読んだあとではしみじみしてしまう。

カバンには先日買った『のんのんばあとオレ』。水木さんの少年時代の破天荒な日々。昔はいまに比べて豪胆だった、というのも事実だろうし、一方でこの経験をしてきて生きている(生きてきた)のは大変な奇蹟でもあったんだろうなぁ、と思う。

そして、奇しくもお盆についての印象的な描写も(絵も美しい)。もういない人との対話という点ももちろん重要だけれど、身寄りとなる人を喪ったあとで、地域に住む生きた人びととの関わりを持ち、また生きる上での張り合いや実感を得るためにも、儀礼は重要なものだったのだ。のんのんばあの人生における盆や儀礼の重みのことを思うと、とても切ない。

お盆らしいことは何一つちゃんとやっていないけれど、でもお盆のことをたくさん考えた、そんなお盆の暮らしの記録。