〜本有引力〜

本と本がつながりますように

記憶の栞として

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2011年の桜

人生を揺るがすような大きな出来事については、「決して忘れない」という思いを抱く人もいる一方で、「思い出したくない、触れたくない」と感じる人もいるでしょう。それぞれが経験したことによって、その思いのあり方は大きく異なることと思います。

今朝のニュースを見ていて、しばらくはつらくて直視できなかったけれど、今は記憶し考えていくことが必要だと感じるようになった、という若い人の言葉がとても印象に残りました。

もちろん、それとは逆に、もうこれ以上は考えたくない、という心の変化を経験している方もいらっしゃることでしょう。悲惨な出来事の記憶については、本当に何かを語ることが難しいと、しみじみ感じさせられます。

それでもできることは、自分自身がそのとき何を感じたのか、また折々に振り返ってみてその時点で何を考えるのか、ていねいに確認していくこと。同時に、ほかの人が語り出すことがあれば、その話によく耳を傾けることなのではないか――そんなふうに考えています。

昨日・今日の2日間は、私にとってのあの日のこと、あの日からのさまざまな出来事の記憶に結びつく本を並べておいて、それを一つのきっかけに、池上ブックスタジオに来てくださった方にとってのあの日、あの出来事にまつわるお話を伺い、共に何かを感じられたら、ということを期待していました。幸い、昨日3月11日には、とても大事なお話を伺うことができ、また私も私自身の記憶について話すことで、心をほぐしてもらうことができました。

ただ、今日は事情によりお店に立つことが叶わなくなったので、この試みもやや宙ぶらりんに。そこで、ほかの方のお話を聞くことはできませんが、せっかくですので、今回並べたいくつかの本について、私自身の記憶を書き留めておこうと思います。


齋藤亮一『佳き日』『ふるさとはれの日』

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2011年の春。あの年の桜は、本当に悲しく胸が塞がる思いで見たことを覚えています。空は青く晴れ渡っているのに、その美しい空にも見えない脅威が混じっているのではないか……そんなふうに感じてしまうこと自体が悲しく、灰色のフィルターがかかってしまっているようでした。

でも、秋になって『佳き日』を見て、また展示で齋藤さんの写真を目にして、改めて、美しい景色はただただ掛け値なしに美しいのだ、としみじみ思わされました。苦しい経験はあれど、佳き日に、佳き場面に出会うと、人の心はあたたかくなる。あの頃の暗鬱な気持ちを救い、支えてくれた、大切な一冊です。

それに続く『ふるさとはれの日』も、ぜひ併せてご覧ください。

管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』

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(左側です)

こちらも、齋藤さんの写真集と同じ頃に出会いました。

未曾有の大災害の後、とにかくいろいろな言葉が紡がれました。雄々しい言葉は、確かに人を鼓舞することもある一方で、それによって却って人の気持ちを萎えさせたり、その言葉によって人の気持を取りこぼしてしまうこともある。

ろうそくの炎がささやくような、かすかな、でもしっかりとそこにある言葉。それを聞き逃さないようにし、また誰かにそっと届けようと試みる。つらく苦しいときだからこそ、そういう小さくてでも芯のある言葉が求められるのではないでしょうか。

3月11日が来るたびに、何度も開く一冊です。

赤木明登・文/小泉佳春・写真『美しいもの』

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2011年8月、世間では原発問題に端を発する電力問題などに揺れている時期に、敬愛する写真家・小泉佳春さんが亡くなりました。

2007年度に連載の仕事で撮影をお願いしました。時間を閉じ込めたかのような静謐さの感じられる写真は、本当に美しかった。細かな部分まで非常にこだわりを持ち、仕事においては厳格な方でしたが、一方でたまに抜けているところがあり、おしゃべりが好きでいろいろなことに興味を持っていて、いつも会うのが楽しい方でした。

その後、病を患って長く闘病生活に入られたものの、2009年頃には復帰のご連絡をいただき、「またぜひ一緒に」とも言っていただきました。写真展を開いたりもされていたので、もうすっかり全快されていたのだろうと思っていました。

ところが、病勢が再び盛り返し、また闘病生活に入られていたようです。あくまで時期的な推測ですが、きっと震災の日も闘病中に迎えられたのでしょう。どんな思いでそのときを過ごされていたのかと思うと、本当にやるせなくなります。

東北、東日本、そして日本全体と、大きく社会が揺れた2011年の前半。そのような社会の流れとはまた別の時間が、小泉さん、そしてご家族にとっては流れていたのだろうな、と小泉さんが残した写真を見る度に考えます。先の『ろうそくの炎がささやく言葉』の、ささやかなでも唯一無二の言葉にも、どこか通じるところがあるかもしれません。

本当に個人的な経験ではありますが、私にとって、震災のことを思うときに、小泉さんのことは切っても切り離せない記憶です。


いずれもごく私的な記憶ですが、本はそんな記憶の「栞」の役割を果たしてくれます。

私は、当時も今も東京にいて、直接的にはさしたる被害もなく、今はもうごく普通の日常を送っています。だから、被災でもなんでもない震災の日の、そしてその日からの、ただの個人的な記憶でしかありません。それでも、またどなたかとお話をすることがあれば、小さくてもそのときの話の糸口になってくれたら、と願っています。